ねかつちう。

お金や節約に敏感な20代30代のための物欲系雑記ブログ

借家暮らしの貧乏人っ!人生の始まりは築30年の公団住宅だった。。

こんにちは、ちうぱんです。

今日は年初からずっとモヤモヤしてたことを書いてみようと思います。

きっかけはコレ。

いわゆる相対的貧困というアレ。

irorio.jp

なんだ今さらか、という話題。

俺哲学いらねー、という話題。

そうです、すみません。

このところ、貧困がニュースとかで話題になることが増えてきたので、それに乗っかって、自分自身の来し方を振り返ってみようという気持ちになりました。

お暇な人はお付き合いください。

家族5人で築30年の2K借家

自分の記憶は築30年の公団住宅で始まった。

男ばかりの3人兄弟の長男に生まれた。

家の間取りは2K。

玄関を入るとすぐ台所で、その奥に8畳と6畳の和室が続く。

リビングのような洒落た部屋は無い。8畳の和室が食堂であり、夜には和布団を並べて川の字で寝る。納戸もクローゼットも無いから、壁一面にタンスが並んでいた。

建物の外壁は黒ずみ、いたるところにクラックが入り、ボロ家に住んでいるんだということは子供心にもわかった。子供は貧乏に敏感なのだ。

ときどき貧乏大家族というタイトルのテレビ番組がやってるでしょ?まさにあんな感じの住居をイメージしてもらえれば近いと思う。他人の貧乏特集を見てさ、ぜんぜん笑えないんですよw

小学生時代の小遣いは月100円

初めてもらった小遣いは月100円だった。

物価そのものは2017年とさほど変わらない。

貧しかったが物欲はあった。

ガチャガチャもやりたい、駄菓子も買いたい。

しかし、そんな使い方をすれば、1日どころか数分で「ライフ」を使い切ってしまう。

それはモッタイナイ。

わずか月100円という小遣いは、3桁の金銭感覚を徹底的に鍛えてくれた。いまでも財布の中の100円玉を見ては、当時のことを思い出すくらいだ。

小学生のとき、学校でカードダスが流行った。

ガチャガチャも流行った。

お金の無い子供には残酷な流行だったと思う。

小遣いについて両親と何度か話し合った。

小学6年生のときには月300円まで小遣いが増えたが、コロコロコミックすら買えない状況に変化は無かった。

誕生日のファミレスが唯一の外食

兄弟が多いので家計は大変だったと思う。

自分たち兄弟がただ一つ親孝行だったとすれば、文句を言わずに何でも食べたことだろう。

自分は食べることが大好きだった。

一日のうち、食事以上の楽しみが無いからだ。

そんな自分にとっての最大のイベントは、誕生日に連れて行ってもらうファミレスでの食事だった。

もちろん、誕生日にいつもファミレスへ連れて行ってもらえたわけではない。回数としては年に1回くらいだったと思う。3人兄弟の誰かの誕生日をファミレスで祝う、そんな感じ。

外食の味は格別だった。

たぶんハンバーグセットとか食べたんだろうな。

子供ながらに、親の財布を気にしながらメニューを選んでいた。その記憶だけは鮮明。

1000円以上のメニューはアウト。

デザートを注文できる空気ではなかった。

デザートを食べられたらどんなに幸せだろうか。

そう思うと、ちょっと悲しかった。

幸せの中にも不幸がつきまとう。

それが貧困というものだ。

大人になって付き合った女性が、瀟洒なレストランでボクに言った。

「子供ができても、誕生日にファミレスとか最悪だよね。」

ずどーーん。。

Jアラート鳴りましたか?

心に核が落ちました。

生存者、確認できません。

そろそろ涙出てきちゃったよw

借家暮らしの貧乏人っ!

いまでも絶対に忘れられない言葉がある。

「借家暮らしの貧乏人っ!」

小学生時代に同級生から言われた侮蔑の言葉だ。

友達が何人もいる前で言われた。

顔から火が出るほど恥ずかしかった。

子供って本当に残酷だなと思う。

貧乏少年をからかったのは、超有名アナウンサーの一人息子だった。

容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能。

悲しいかな性格だけが悪かった。

貧乏。貧乏。貧乏。

ヨーダの言葉、知ってますか?

「怖れは悲しみを生み、悲しみは怒りになり、怒りは憎しみとなる」

自分に言わせればですね、

「貧乏とは悲しみ、貧乏とは怒り、貧乏とは憎しみであり、それらは渾然一体となって精神を襲う。」

貧乏というのは、悲しいとか悔しいとか、単一の感情ではないの。

いろんなネガティブ感情が渾然一体となって、

貧乏は人間をダークサイドに落としますw

まとめ

とりあえず、自分の貧しい記憶を並べてみた。

ほかにもコンプレックスはいろいろあるんだけど、それを書くことで同じ劣等感を抱えて生きている人を不必要に傷付けるかもしれないので書かない。

しかし、いままで両親にも親友にも話せなかったことを、いまここで書いてみようと考えたのは、最近世の中で言われている「相対的貧困」というものが、自分の記憶の中の貧しい体験をざわざわと蘇らせたからだと思う。

で?

書いてみてどうだった?

結局のところ、他人の貧乏と自分の貧乏は比較できないと思った。どれだけ実体験を文字に起こしてみても、我が身で感じたダークサイドの空気感までは他人には伝わりっこない。その逆も然り。文章力の問題もあるけどね。

あと、貧しい記憶というのは、自分の性格のコアな部分に影響してるのは間違いない。「借家暮らしの貧乏人」ね。ありがとう、その言葉をバネに生きていきます。

というわけで以上っ!